江戸時代から続く県内3大祭の一つで19台の山車
(おしゃぎり)が町中を練り歩きます。
大町 乗せ物諫鼓に鶏
諫鼓とは昔の中国で、「我が政治に不満あらばこの諫鼓を打ち鳴らし知らせよ」
とふれが廻ったが優れた政治に誰も不満が出ず諫鼓には鶏がとまるような有り様で
あったと謂われる中国の故事で平和の象徴とされています。
現在の屋台は昭和八年に白木で造られ翌年より彫り漆を施されたもので
その前の文政六年に造られた物は明治五年に焼失。
ただ天井の日覆だけが免れ現在用いられています。
元の屋台の擬宝珠はギヤマンであり、
乗せ物の諫鼓の胴に卷いた緋羅紗には
九龍の刺繍でその目にはギヤマンがちりばめられていたと聞いています。
その当時の製作の棟梁は大町の稲垣治平、脇棟梁は稲垣文平治でした。
村上大祭に曳きだされる山車の事を村上では「おしゃぎり」といいます。
呼び名の由来は、歌舞伎や狂言で、鉦や太鼓で演奏される音曲やお囃子のことを
「しゃぎり」というところから来ているものととも言われています。
寛永十年の羽黒神社の遷座祭に大八車に太鼓を積んで・・・という事がはじまりでしたが、
その後この羽黒神社の遷座祭には、各町内で花車や仕組屋台、大名行列など、
様々な趣向を凝らしたことが記録に残っています。
その後、次第に彫刻や、塗りを施した屋台が現れて驍謔になり、
享保年間には、ほぼ現在のような堆朱堆黒などの塗りを施した豪華な屋台となっていきました。
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