町屋の人形さま巡り

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村上新聞


2004/3/4 村上新聞

人形さま巡り紹介で

弊店の人形さまが紹介されました。

縁起担いだ108体
神功皇后と武内宿禰

 
 店の入り口をくぐると華やかさと活気で、訪れた観光客は「にぎやかだね!」と口をそろえる。
 大町に店を構える「うおや」は創業二百年。
現在の店主・上村正弥さん(75)は八代目にあたる。

 入り口を進むと新鮮な魚介類がガラスケースに陳列され、威勢のいい掛け声が飛び交う売り場と対面して、
壁際に江戸時代から平成までの人形、百八体が飾られている。
「土蔵にはまだしまってあるみたいだけど、縁起担いで百八(体)にしました」と正弥さん。

 中央付近に、弓矢を背負った兜姿の古びた人形が目にとまる。
江戸後期から明治初期ごろにかけて作られたとされる五月人形だ。
応神天皇の産みの親「神功(じんぐう)皇后」と乳のみ児の応神天皇を抱いた「武内宿補(たけのうちのすくね)」
が優しげな表情で鎮座している。

 ほかにも江戸時代の亨保雛や大将人形、古今雛、明治時代のひな人形などが所狭しと並べられ、とりどりの
表情を見せている。

 奥さんの八惠子さん(70)は「少しでも話題を提供してイベントを盛り立てたい」と話し、おひな様をイメージした
姫御膳(ひめごぜん)」や、「お客様とご縁がありますように」と笹で巻き、千代紙細工の人形のつまようじをつけたおにぎり「笹むすぴ」も販売し、観光客に好評だ。


明治 武内宿禰 応神天皇 神功皇后
明治時代  
応神天皇の産みの親「神功皇后」と乳呑み児の応神天皇を抱いた「竹内宿禰」

 

応神天皇 おうじんてんのう 別名:誉田別命(ほむだわけのみこと) 

西暦四世紀末の大王。仲哀天皇と神功皇后の間の第四子。母后の朝鮮征伐後、筑紫で生まれる。神功三年、皇太子に立てられ、同六十九年、母后の崩後、即位。景行天皇の曾孫仲姫を皇后とする。在位中は朝鮮半島からの文物技術の導入、大和・河内地方の開発などを進めた。四十年、末子宇治稚郎子を日継と定める。四十一年、崩御。陵は大阪府羽曳野市の誉田山古墳に比定されている。

 

武内宿禰

武内宿禰 たけしうちのすくね

古事記によれば孝元天皇の孫。比古布都押之信命の子。母は山下影日売(木国造の祖、宇豆比古の妹)。巨勢・蘇我・平群・葛城氏などの祖とされる。景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五朝に仕えたとされる臣。景行天皇の時、北陸・東国を視察し、蝦夷の征討を進言。成務天皇が即位すると、大臣となる。仲哀天皇崩御の時、忍熊王らの反乱を鎮圧する。応神天皇の時、韓人池を造る。また謀反を讒言され、探湯(くかたち)により罪を晴らした。仁徳天皇が誕生した際には、自分の子供と同日の生れであったため、名を取り替えたという

神功皇后
神功皇后
じんぐうこうごう 
別名:息長足比売尊(おきながたらしひめのみこと)
 

気長宿禰王(開化天皇の曾孫)の娘。母は葛城高額媛(かずらきのたかぬかひめ)。応神天皇の母。仲哀天皇の二年、皇后となる。八年、天皇の熊襲征討に従い筑紫に下った際、神がかりして新羅征討を訴えるが、天皇はこれを容れず、翌年崩御。皇后は四大夫(中臣烏賊津連・大三輪大友主君・物部胆咋連・大伴武以連)に命じ、百寮を率いて宮中を守らせる。同年冬、新羅に出兵し、新羅は戦わずして降服。翌年、皇太后を称し、政事を司る。摂政六十九年四月、磐余の稚桜宮で崩御。陵墓は佐紀古墳群中の五社神古墳(奈良市山陵町)に比定されている。

 

 

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